2017年10月17日
「契約と著作権教育の必修化を考える」
弁護士 福井健策 (骨董通り法律事務所 for the Arts)
のっけから自分の笑顔で恐縮至極だが、先週こんなことをつぶやいた。
まただ。なぜこんな20代を棒に振るような契約書にサインしたんだと声を荒げたくなる若手アーティストの相談。なぜこうも繰り返される。少なくとも原因のひとつは、はっきりしている。幾多の芸術系大学、音楽・アート系学校で「契約」なんて面倒なことは教えていないからだ。
— 福井健策 FUKUI, Kensaku (@fukuikensaku) 2017年10月12日
事案の詳細は控えるけれど、まあ個人・団体を問わず日常的な契約の光景である。だが、この日は思わずつぶやいた。するとこれがなかなかバズった。
リツイート数も多かったが、何よりコメントが引用ツイートを含めて極めて多い。人々がとみに感じていたことが、ツイートがきっかけで一気にせきを切ったような印象だった。いわく:
「本当だ。なぜ学校で著作権や契約に関する授業をやらないんだろう」
「これはその通り」「契約・著作権・税務・経理は必ず教えるべき」
「ジュリアードでは税法・契約・マネジメント等のクラスが必修」
「芸術系の学校だけに限った問題ではない」
「一刻も早く大学で必修科目にすべき」
「本当は中学・高校段階で基礎だけでも教えるべき」
「Q&Aサイトを立ち上げたら」「アプリでなんとかならんか」
「不利な契約は無効にできる仕組みも重要」
「ピュアであるために契約を勉強したというYOSHIKIの言葉を思い出す」
「YMOが達郎が永ちゃんがピート・ハムがまどか☆マギカが」
である。
無論、契約や著作権をしっかり教えようとしている芸術系大学や音楽・アート系の学校もある。筆者自身で言えば、日大芸術学部では「著作権と文化・メディア契約」と銘打って半期の講義を既に10年近く続けている。幸い、というか時代と合って学生たちの関心は極めて高く、今年は240名が履修し一番大きい教室がすし詰めの状態だった。東京藝大では、デザイン科が全員必修の特別講義を行うなど弊所メンバーが分担で幾つかの講義を担当しているし、岡山県立大学では今年の新入生全員に向け著作権講座が組まれるなど、講義の依頼は確かに目立って増えている。特に「五輪エンブレム」騒動以後、そうした例は多いだろう。
ただ、知る限りでは必修の講義はほぼなく、あるとしても1~2回の特別講義である。しかし、率直にいえば、「アーティストのための契約・著作権・情報リテラシー・お金回りの基礎」だけで、期末テストのある半期の講義は欲しい。
著作権については昨年、事務所のスタッフがざっと調べたことがある。芸術系に限らず、全国のあまたの大学の中で著作権等の半期以上の講義を持っている学部は法学・情報系などの一部にとどまっており、必修講義は学部を問わずほぼ見られなかった。
契約だってそうだ。我々のほとんどは、小学校から大学卒業までの16年間で「契約についての教育」はまず受けない。法学部に入ってすら、やるのは法の解釈中心で、一般的な契約の読み方・交渉の仕方などの基本的な「作法」はほぼ教えていない。必修講義でまず教えるのは「民法総則」などで、心裡留保とか錯誤無効である。いや大事だけれども。弁護士を25年やっているが、はっきり言って心裡留保なんて実務で使ったことは皆無だ。他方、契約書には誰でも一生の大事な局面で何度も出会う。でも、その基本的な交渉のイロハとか、捨印の意味とか、内容証明の意味や受け取ったらどうしたら良いかは教わらない。
こんなコメントがあった。「一番必要なことほど『現場で身に付けろ』で、学校と言えるのか」。うん、先生たちには怒られそうだけどその通りだ。「いやあ、うちはあくまで「料理」なんで食中毒の防止法は教えてなくて」なんていう調理師学校が、あるか?
あえて極論を言えば、どうやっておもしろい作品を作るかなんて、クリエイターは一生かけて自分で見つける。学校が第一に教えるべきは、生存のための基礎的な知識ではないだろうか。特に芸術系・メディア系では、企業などに就職しない限り、卒業後は95%以上が誰にもマネジメントして貰えないフリーの表現者になるのだ。セルフ・プロデュースの力こそ教えるべきであり、その中に著作権と契約は恐らく最重要の知識として含まれる。
なお、念のために書いておくと、企業が自社有利な契約を交わそうとするのはある程度は当然の経済行為だ。弊所だって依頼を受ければ、できるだけクライアントのリスクを下げメリットを上げるような契約案を作る。プロとして当然だ。また、チャンスをつかむためにあえて不利な条件を呑むのも、世界的に全く普通の光景だ。筆者が言いたいのは「知識(=力)を持とう・持たせよう」ということであり、場の空気や信頼感だけでサインするような馬鹿げたことから早く脱却しようということだ。これは芸術系に限らず、日本社会やそのビジネス・国際関係の未来にもかなり決定的なことに思える。
実は政府もかつて、こうした議論はしている。文化審議会の教育問題小委員会で2003年に経過報告を出しているが、そこでは著作物にかかわるすべての人々への著作権と契約知識の普及を目標にかかげ、そして法・教育学部などでは著作権や関連契約の高度な知識を教える必要性を強調しているのだ。ただ、この時は教える人材が不足しているという理由で、最終報告では「早急に実態を把握」しつつ「当面は研修中心で」と尻すぼみの結論だった。それから14年、いまだに「当面は研修中心」のままだ。
この間にネット社会は本格到来し、万人が情報の発信者であり利用者である時代に、著作権は全ての人の必須知識になった。また、ネットの利用規約の隆盛などで、我々が契約を交わす機会も格段に増えた。それらをめぐるトラブルや炎上事件は多発し、「五輪エンブレム騒動」「まとめサイト炎上」から「ジャニーズ利用規約」「能年玲奈(のん)契約問題」まで、著作権やコンテンツ・情報をめぐる契約はいまや人々の大いなる関心事項だ。しかし知識不足のため混乱・取り返しのつかない失敗・萎縮も頻発し、そして多くの教育機関は、この変化の中で少なくとも十分なサポートを学生や教員たちに与えられてはいない。
著作権・契約・情報リテラシーでの1学期程度の講義必修化は、急務に思える。
仮に、今後教育界がその方向に向かえる場合には、是非ひとつ提案したい。著作権について、決して「あれは危ない」「これも違法」というNG集だけの講義にしないことだ。それでは萎縮を招くばかりで逆効果だろう。そうではなく、これは危ない落とし穴だが、逆にここまではOK、という「ここまで出来る」講義を目指してはどうか。そしてもうひとつ。著作権は今や興味津々の学生も多いが、契約となるとさすがに学生には退屈な時間になりがちだ。模擬交渉のゲームなど、なんとか興味をかき立て、おもしろく教える工夫がいるだろう。
誰でも使える契約と著作権の知識。それは日本のゆくえを左右する情報社会・コンテンツ立国の基本インフラだ。もう、必修化は待ったなしではないだろうか。
以上
■ 弁護士 福井健策のコラム一覧
■ 関連記事
「デザイン分野における契約書作成・交渉のための基礎知識
-業務委託契約書のひな型を題材に各条項のポイントを解説-」
2023年2月27日 弁護士
田島佑規(骨董通り法律事務所 for the Arts)
法的若しくは専門的なアドバイスを目的とするものではありません。
※文章内容には適宜訂正や追加がおこなわれることがあります。